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病院沿革
明治40年3月、舞鶴海軍工廠職工共済会病院として設立され、専ら海軍工廠の組合員およびその家族の診察に従事していましたが、終戦により海軍省の解体とともに、昭和20年10月に、財団法人共済協会舞鶴共済病院として一般市民の診療にあたることとなりました。
昭和25年12月、旧令特別措置法により共済協会は解散し、病院の運営は非現業共済組合連合会(昭和33年に法改正により現名称に変更)の管理病院(旧令病院部)となり、国家公務員及びその家族や一般市民の医療機関として今日に至っています。
国家公務員共済組合連合会舞鶴共済病院は2007年3月22日に創立100周年を迎え、創立100周年記念式典を施行しました。その節はたくさんの方々に参加していただき、改めて御礼申し上げます。
このたび、2017年3月22日で110年を迎えたことにあわせて110周年記念史を編纂いたしました。
当院は、明治40年3月22日に舞鶴海軍工廠職工共済会病院として発足し、110年を迎えます。110周年記念史発行については、既に「七十年誌」(1977年発行)が刊行されており、その後40年間の当院の歩みを編纂するように企画いたしました。
この40年間で最も大きなことは、病棟の新築であると思います。1982年に現在のA棟である本館が竣工し、1994年には現在のB棟である新館が竣工しました。そして2016年に念願のC棟が竣工し、現在の姿となっています。
さらに当院の理念である「患者さんに良質で安心していただける医療を提供する」ために、その時代の医療情勢を考慮して、診療科の増減そして病棟再編を逐次実施してきたわけであります。
しかし、最近の医療情勢は、舞鶴市のみならず、中丹医療圏さらには北部京都全体を考えて、当院の立ち位置を見極めていかなければならない時代となってきました。諸先輩方が築いてきたこの舞鶴共済病院ブランドをいかに継続していくかは、110年の歴史の中に答えがあると思っています。
「七十年誌」の冒頭に当時の松本禮二院長が「創立70年を機会に、病院の歩みを記録にとどめるため、70年誌編纂を企画し」「これを契機として、100年誌には輝かしき頁を飾れるよう、一層の努力を重ねる覚悟である」と記載しています。私も、この110周年記念誌が当院の歴史の貴重な記録のみならず、当院の現在そして未来を考える貴重な資料となることを確信しています。
これまでご支援いただいた関係各位の皆さんに深く感謝するとともに、今後の病院のさらなる発展のためご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。
舞鶴共済病院 第34代病院長 布施 春樹